役に立たない読書の意味

こんばんは。今日はスタバ行こうかと思ってましたが、読みたい本が手元になくて、結局ダラダラとアニメ見て過ごしてました。

読みたいと思える本がないと、なんかもやもやとした気持ちになります。特に小説が読みたいです。一時期自己啓発本やビジネス書にハマっていましたが、有益な情報を求めて本を開くより、自分と何の関係もない小説読んだ後の方が満足感が高かったりするんですよね。

 

そう思うのも、作家の米澤穂信さんが「米澤屋書店」という本で「必然性のない読書をしよう」と語られていて、それがすごい腑に落ちたのを覚えています。

普通の生活者が更なる情報を求めてテレビやネットに常時触れ続けることは、必ずしも安全なこととはいえない。あらゆる情報に接し、あらゆることに怒り、あらゆることに不安を抱いていては心がすり減るのだ。すり減った心はさらなる怒りと不安を招き、攻撃性や妄信や憂鬱を引き寄せ、自他の生活を劣化させる。・・・無知は恐怖を招き不合理な行動を引き起こすが、過度の情報もその点はまったく同じなのだ

いま読む必然性のない物語を心に入れると、その無用さが緩衝材になる。必要なこと、役に立つことばかりを追い求めては心が硬く、脆くなる・・・。「ああ面白かった」「いやあ美しかった」と言って顔を上げれば、過度の楽観や悲観から逃れる道も見えてくるというもの。古人の言う無用の用とは、あるいはこのようなことでもあっただろうか。

実体験として、自己啓発本よく読んでた時期は次々と得られる情報にワクワクしたものの、それで人生の満足感が上がったかというとそんなことはなかったです。「もっと有益な情報を知りたい」「より自分を高めたい」という欲求に際限はないので、常に「今の自分は十分でない」という意識がついて回ります。

反対に、自分と何の関係もない小説とか読んでると、物語に意識が向いて、今抱えている悩みや不安から意識がそれます。自己にばかり意識が向いて狭まっていた視界が、外の世界へと広がっていくのを感じます。

 

特に、辛いとき、苦しいときほど視野が狭くなりがちなので、必然性のない物語を楽しむ時間が大切なんだろうなと思います。