投資の損益は気になっちゃう

こんばんは。会社から企業型DCの案内がきました。

よく分かんなかったですが、会社がお金出してくれて資産運用できる制度らしいです。前までずっと非正規でまともな福利厚生もなかったので、正社員だとそういう制度があるの地味に大きいなと感じます。

何に投資するか選択できるらしいので、外国株式にしようと思います。個人でもずっとオルカンに投資してますしね。ただ、株式なんで結構金額が上下してます。今は証券口座に700万ぐらいありますが、今日だけでも4万減りました。

どうせ20年以上は使う気のないお金だし、今どうなってようが関係ないですが、とはいえ直近の下げ相場で資産が日に日に減っていくのは、若干の憂いがあります。そもそも損益を見ちゃうのが悪いんですけど、気になっちゃうもんは仕方ない。

楽しみは後に

こんばんは。仕事でやること増えてきて、だるいです。

いや、やることが溜まるのはまだいいんですが、何したらいいのかも分からないことが増えてくると精神的にもキツくなってきます。仕事変わって一年ぐらいは新しいことだらけで、耐える時期ですかね。

 

ほんと、仕事終わりにノンスイートのカフェラテ飲んでる時間だけがいきがいです。コーヒー自体は好きで、昼の休憩にもブラックコーヒー買って飲んでます。頑張った後のご褒美感覚ですね。

午前中の仕事は食堂のご飯とブラックコーヒーを楽しみに頑張り、午後の仕事は仕事終わりのカフェラテを楽しみに頑張ってます。なんというか、日々のそういう小さな楽しみに生かされてる気がします。

逆に朝からコーヒー飲んじゃうと、昼の楽しみが減って仕事にも身が入らないです。楽しみは後にしたほうが、得られた時の喜びは大きいですし、後少し頑張ればご褒美がもらえるといった状況だと人は頑張れます。

役に立たない読書の意味

こんばんは。今日はスタバ行こうかと思ってましたが、読みたい本が手元になくて、結局ダラダラとアニメ見て過ごしてました。

読みたいと思える本がないと、なんかもやもやとした気持ちになります。特に小説が読みたいです。一時期自己啓発本やビジネス書にハマっていましたが、有益な情報を求めて本を開くより、自分と何の関係もない小説読んだ後の方が満足感が高かったりするんですよね。

 

そう思うのも、作家の米澤穂信さんが「米澤屋書店」という本で「必然性のない読書をしよう」と語られていて、それがすごい腑に落ちたのを覚えています。

普通の生活者が更なる情報を求めてテレビやネットに常時触れ続けることは、必ずしも安全なこととはいえない。あらゆる情報に接し、あらゆることに怒り、あらゆることに不安を抱いていては心がすり減るのだ。すり減った心はさらなる怒りと不安を招き、攻撃性や妄信や憂鬱を引き寄せ、自他の生活を劣化させる。・・・無知は恐怖を招き不合理な行動を引き起こすが、過度の情報もその点はまったく同じなのだ

いま読む必然性のない物語を心に入れると、その無用さが緩衝材になる。必要なこと、役に立つことばかりを追い求めては心が硬く、脆くなる・・・。「ああ面白かった」「いやあ美しかった」と言って顔を上げれば、過度の楽観や悲観から逃れる道も見えてくるというもの。古人の言う無用の用とは、あるいはこのようなことでもあっただろうか。

実体験として、自己啓発本よく読んでた時期は次々と得られる情報にワクワクしたものの、それで人生の満足感が上がったかというとそんなことはなかったです。「もっと有益な情報を知りたい」「より自分を高めたい」という欲求に際限はないので、常に「今の自分は十分でない」という意識がついて回ります。

反対に、自分と何の関係もない小説とか読んでると、物語に意識が向いて、今抱えている悩みや不安から意識がそれます。自己にばかり意識が向いて狭まっていた視界が、外の世界へと広がっていくのを感じます。

 

特に、辛いとき、苦しいときほど視野が狭くなりがちなので、必然性のない物語を楽しむ時間が大切なんだろうなと思います。

ヒゲ脱毛一回目

こんばんは。今日は12時ぐらいに起きました。起きるのが遅いと、一日が短いですね。

昨日の飲み会で飲みすぎました。酔ったり顔に出ないので、お酒は強い方だと思いますが、お腹張って朝起きても気分が悪かったです。お酒はほどほどに。

 

夕方ヒゲ脱毛1回目をしてきました。よく痛いと言われますが、実際痛かったです。でも、痛いのはレーザー当てるほんの一瞬だけなんで、終わってみたら「こんなもんか」とも思いました。

人は痛みを乗り越えて成長していくんですね。ヒゲは後退させてるけど。